2024年2月14日に実施されたインドネシア大統領選挙において、プラボウォ氏が勝利しました。
インドネシアは人口が多く、ビジネスにおいて東南アジアのなかでも重要な国です。大統領の交代は日本にも影響があると考えられるため、プラボウォ氏がどのような政権運営をするのかに注目が集まっています。
そこで本記事では、インドネシア大統領選に勝利したプラボウォ氏の経歴や人物像を紹介します。
プラボウォ氏とは?どんな人物
プラボウォ氏の正式な名前は、プラボウォ・スビアント・ジョヨハディクスモです。1951年に生まれ、軍人から政治家に転身しました。
父は産業貿易大臣や大蔵大臣を歴任したスミトロ・ジョヨハディクスモで、その父はインドネシア国立銀行の初代総裁マルゴノ・ジョヨハディクスモです。マルゴノ・ジョヨハディクスモは、ジャワ戦争でオランダと戦ったディポネゴロ王子の親衛隊長の孫です。さらに血筋を辿ると、17世紀のムタラム王国につながるといわれています。つまりプラボウォ氏は、インドネシア有数の名家の生まれなのです。
また義父はインドネシア第2代大統領のスハルト氏で、プラボウォ氏はスハルトファミリーの一員でもあります。
この章では、プラボウォ氏の軍人時代から現在までの経歴を簡単に紹介します。
軍人時代
プラボウォ氏は、インドネシア国軍士官学校を卒業後、インドネシア陸軍に入隊します。1976年には特殊部隊として東ティモール併合作戦に参加し、1983年にスハルト大統領の次女と結婚したことで軍内部において影響力を持つようになりました。
その後、軍を掌握したプラボウォ氏は、スハルト大統領に批判的な活動家に対して弾圧や暗殺をしたといわれています。
また1997年のアジア通貨危機で全国的にスハルト退陣運動が広がった際、プラボウォ氏は特殊部隊を指揮し、活動家の拉致監禁やジャカルタ暴動を扇動した疑惑があります。
※ジャカルタ暴動とは、1998年5月にスハルト大統領の退陣を求めていたトリサクティ大学の学生4名が射殺されたことを受けて、インドネシア全国に広がった暴動のことです。ジャカルタ暴動の死者は、1,000人を超えるといわれています。
1998年にスハルト大統領が辞任すると、軍内部の主導権争いで対立していたウィラント氏らによって、プラボウォ氏は特殊部隊の逸脱行為について軍法会議にかけられ1998年8月に軍籍をはく奪されました。
政界進出
プラボウォ氏は軍籍をはく奪されるとヨルダンに移住し、弟の事業を手伝っていました。その後、2002年に「ヌサンタラ・エネルギー・グループ」を設立し、政治資金を得たことで政界に進出します。
まずは、2004年にインドネシア大統領選挙の候補者を決める党大会に立候補するも敗北しました。そこで。インドネシア全国農民協会の会長に就任し、2008年にはグリンドラ党を立ち上げます。さらに2009年にはメガワティ氏と組み、副大統領候補として立候補するも落選しました。
2014年インドネシア大統領選挙
プラボウォ氏が大統領に初めて立候補した2014年のインドネシア大統領選挙は、闘争民主党のジョコ氏との一騎打ちでした。名家の生まれでもなく、軍人でもないジョコ氏は「庶民派」として人気を集めたため、プラボウォ氏は敗北します。
ジョコ政権は「海洋国家構想」を掲げ、「海洋資源の活用」「インフラ強化」などを重点項目に指定しました。「海洋国家構想」の実現のために中国との関係強化を図っており、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加もその一環です。
2019年インドネシア大統領選挙
2019年の大統領選挙は、2014年と同様にジョコ氏とプラボウォ氏の戦いでした。結果はジョコ氏が55.50%の票を獲得し、再選しています。プラボウォ氏は敗北したものの、ジョコ大統領が新内閣を発足する際に国防大臣に起用されています。
2024年副大統領にギブラン・ラカブミン氏を指名し勝利
インドネシアでは大統領の三選が禁止されています。そのため、2024年のインドネシア大統領選挙は、ジョコ大統領が出馬できず、第8代大統領が誰になるのかに注目が集まっていました。
過去2回にわたりジョコ氏と争ったプラボウォ氏ですが、2024年の大統領選挙ではそのジョコ氏の長男ギブラン・ラカブミン氏を副大統領に指名しました。
※インドネシアの大統領選挙は、大統領と副大統領が1対となり立候補する仕組みです。
「庶民派」のジョコ前大統領の支持率は7割を超えており、プラボウォ氏は長男を副大統領に指名することで、ジョコ前大統領の支持者の取り込みに成功しました。
開票所のサンプル調査によると、プラボウォ氏の得票率は約6割で、当選の可能性が高まったことからプラボウォ氏は大統領選挙同日に勝利宣言をしています。
ただし、有権者数が約2億488万人のインドネシア大統領選挙の開票作業は、1カ月程度の時間を要します。総選挙管理委員会の正式発表は、3月20日までに行われる予定です。
インドネシアの歴代大統領
インドネシアの政権は、歴代の大統領の影響力が強いことで知られています。例えば、プラボウォ氏がスハルトファミリーで、かつジョコ前大統領の支持を得ているなどです。
そこで、この章ではインドネシアの歴代大統領を簡単に紹介します。
歴代 | 氏名 | 任期 |
---|---|---|
初代 | スカルノ | 1945年~1967年 |
第2代 | スハルト | 1967年~1998年 |
第3代 | ハルディン・ユスフ・ハビビ | 1998年~1999年 |
第4代 | アブドゥルラフマン・ワヒド | 1999年~2001年 |
第5代 | メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ | 2001年~2004年 |
第6代 | スシロ・バンバン・ユドヨノ | 2004年~2014年 |
第7代 | ジョコ・ウィドド | 2014年~2024年 |
第8代 | プラボウォ・スビアント・ジョヨハディクスモ | 2024年~ |
プラボウォ氏の人物像
プラボウォ氏は、前回・前々回の選挙ではジョコ氏との違いを明確にするために、「強い指導者」を強調していました。とくに「コメの輸入禁止」や「資源管理の強化」など、排他的主義を打ち出し、前政権に不満を持っていたイスラム保守勢力の支持を集めていました。
しかし今回は、ジョコ路線を引き継ぐことや学校給食の無償化などを訴えており、前回よりもソフトなイメージで選挙に臨んでいます。
プラボウォ氏への懸念
プラボウォ氏は軍人時代に、人権侵害に関与した疑いがあることから忌避する方も多くいます。とくにスハルト政権末期の活動家の拉致監禁やジャカルタ暴動に関与した疑惑については、いまだに調査や裁判などが行われていません。
また今回の大統領選挙では、副大統領の年齢の資格要件が40歳以上と定められていたのを変更し、36歳のギブラン氏を指名したことで民主主義を後退させたと非難されています。このような民主主義に対する関心の薄さや、72歳という年齢がプラボウォ氏の懸念点です。
注目される今後のプラボウォ氏の動向
プラボウォ大統領が注目されているのは、政権運営の方向性と前政権の首都移転計画を継続するかです。2つの注目の動向について解説します。
ジョコ政権路線の継承
前回・前々回まではジョコ氏と激しく争っていましたが、今回はジョコ氏の長男を副大統領に指名し、ジョコ政権路線を継承する方針です。外交においても、ジョコ前大統領と同様に米中間のバランス外交を継続するとみられています。ただし、「ジョコ前大統領の傀儡(かいらい)政権になるかもしれない」という危惧もあります。
首都移転計画の実施
プラボウォ大統領は、ジョコ政権の肝いり政策である首都移転計画を継承する方針です。
そもそも首都移転計画とは、インドネシアの首都をジャカルタからカリマンタン島東部のヌサンタラに移転する計画のことです。ジャカルタは交通渋滞や大気汚染、さらには地盤沈下などによる海面上昇といった問題があります。
これらの問題の解消を目的に、カリマンタン島のジャングルに新たな首都を開発する計画で、2045年に完了予定です。
人類史上最大の移転計画といわれ、計画完了までには最大486兆ルピア(4兆8,600億円)が必要とされています。計画を完遂できるかは資金の確保に加えて、それまでの大統領が計画推進の立場を継続するかがポイントです。
プラボウォ氏が当選したことによる日本への影響
前政権は中国との関係を重視していたため、ジョコ路線を継承するプラボウォ大統領も中国重視の傾向を続けるとみられます。そのため、日本との関係改善や関係強化が活発化するとはいえません。しかし、プラボウォ大統領がどの程度ジョコ路線を引き継ぐのか不透明なため、今後の政権運営を注視しましょう。