渋沢栄一:日本の資本主義の父が携わった企業の現在。王子製紙、みずほ、東洋紡、ビール、都市ガス、交通、重工メーカー

新紙幣の一万円券の肖像に、日本の「資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が選ばれ、令和6年(2024年)に、発行される予定です。

第一国立銀行(現在のみずほ銀行)や東京証券取引所など500以上の企業や団体の設立と運営に関わった明治~大正期を代表する実業家で、大河ドラマ『青天を衝け』で話題沸騰中となっています。

ここでは、渋沢栄一がどのような功績を残したか、大河ドラマの主人公になるほどの人間的な魅力はどこにあるのかをご紹介します。

 

渋沢栄一の生い立ち

まず、500以上の企業や団体の設立・運営に携わり、偉大な功績を残した栄一氏の生い立ちを見てみましょう。

渋沢栄一

 

生い立ち

https://www.istartup.jp/entrepreneur/ent004.html

 

誕生~豪農の家に生まれる

深谷

※旧渋沢邸(深谷)

https://massneko.hatenablog.com/entry/2016/01/18/183000

 

1840年(天保11年)2月13日に、栄一氏は、埼玉県深谷市で誕生しました。

小さな頃から読書好きで、いろいろなことに意欲的に取り組む性格でした。

渋沢家では、「藍玉」(摘み取った藍を乾燥させ寝かせて固形化したもの)の製造を行っていました。栄一氏は、少年時代からすでに商売人としての才能を持っていたと伝えられています。

 

尊王攘夷

尊王攘夷

https://mag.japaaan.com/archives/56655

 

1853年(嘉永6年)、黒船が来航しました。このことをきっかけに日本の鎖国体制は崩壊し、1858年(安政5年)、江戸幕府と米国の間で「日米修好通商条約」が締結されます。5つの港が開港されるとともに、日本経済は自由貿易によって混乱に陥ります。

江戸幕府への不信感を募らせた民衆の中には、天皇を尊ぶ「尊王論」を唱える者が増え、この思想に外国との貿易に反対する排外思想の「攘夷論」と結びいた「尊王攘夷思想」が過激化しました。

 

ヨーロッパ周遊

開国と共に混乱が巻き起こった幕末期、栄一氏は攘夷計画を謀りましたが、仲間の助言によって志半ばで断念しました。国のために何かできることはないかと日々自問し続け、ヨーロッパの各地を周ります。

そこで栄一氏は、日本にはない外国の先進的な科学技術である水道設備や、蒸気機関車、エレベーターを目の当たりにし、日本がいかに遅れているかを痛感します。

栄一氏は、ヨーロッパの優れた部分を日本に持ち帰り、この知識を応用すれば日本も追い付けるはずだと考え、ヨーロッパ留学中に思いついたどんな些細なことも書き留めていきました。

 

銀行設立のきっかけとなったフリューリ・エラールとの出会い

ヨーロッパで様々な体験をした栄一氏は、特に銀行や、多くの人々から集めた資金で事業を行なって利益を分け合う資本主義の仕組みに興味を持ちます。

この仕組みを知ったのは、パリ滞在中に経理などのアドバイス役をしてくれた銀行家のフリューリ・エラールと出会ったことがきっかけでした。栄一氏は、日本でもこのシステムを作れないかとこの時強く思ったのです。

 

帰国後、静岡で事業を設立

帰国を命じられてから半年後の1868年(慶応4年)、フランスのマルセイユを出港した一行が横浜港に到着、栄一氏は、故郷である深谷に約6年ぶりに戻りました。

帰国後は、フランスで学んだことを活かし、静岡で事業を開始。静岡藩の資金と地元豪商から募った資金で、宝台院近くに「商法会所」を設立。フランスで見た銀行を手本にし、農家に資金を貸し出す金融業の他に、米や肥料などの売買をする商社機能をかね備えた新しい事業を開始します。

 

銀行の父として

明治政府内で大蔵省と対立してしまったことをきっかけに退官することとなった栄一氏は、それまで念願であった実業界での仕事に挑戦していきます。民間人として最初に関わったのは、日本初の銀行を設立すること。

大蔵省にいた頃からこの事業の基盤を作っており、銀行経営は留学時代からの夢でもあったのです。

まず、頭取として、現在のみずほ銀行である第一国立銀行の経営に関わりながら、新たな国立銀行、地方銀行の開業支援にも積極的に興していきます。

渋沢銀行

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こうして栄一氏は、銀行設立を中心に日本の実業界を支えながら、さらなる日本経済の発展のため新たな事業に挑戦していきます。

 

代表的な企業

栄一氏が創業した数々の企業は、今日の名だたる老舗や大企業ばかりです。

「あの大企業も渋沢栄一によって創業されたのか」と思うと、今までのイメージが少し変わるかもしれません。彼が日本のビジネス界に及ぼしたインパクトはどれほど莫大だったのでしょうか。

Web版講談社には、『渋沢栄一が関わった企業171社、時価総額の合計は一体いくら?』という特集が掲載されており、その額は約90兆円とされています。

約100兆円の東京都の県内総生産なので、渋沢栄一は、東京都に匹敵するビジネスを築いたということです。

下記を見てみると、明治時代当時、日本に画期的なシステムであった銀行を含む金融事業が圧倒的に総額が高いことが分かります。

時価総額

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80480?page=6

 

次に、関わりの深い主な上場企業22社をの売上高を見てみましょう。

売上高

https://www.tdb-college.com/column/?id=1560311700-307605

 

2018年度の連結売上高を規模別にして見てみると、最も売上高の大きい企業は三井物産株式会社でした。売上高1兆円以上が11社で50%を占め次に、「1000億円以上1兆円未満」が9社で40.9%、「500億円以上1000億円未満」が2社となっています。

従業員別に見ると、最も多い企業は川崎重工業株式会社の1万6423人でした。「1000人以上」が13社でした。

それでは次に、企業をいくつか取り上げてご紹介します。

 

王子製紙

1873年、栄一氏は大蔵省を退官し、豪商の三井組や小野組、島田組との共同出資により製紙業を営む抄紙会社を創業し、当時まだ関わっていた銀行経営と同時に運営しました。製紙業は、銀行と共に携わった最初の事業です。

日本はそれまで紙は輸入に頼っていましたが、高品質で安価な紙の製造をするための国産化は、日本経済の成長にとって重要な課題だったのです。

 

東洋紡株式会社

紡績業は江戸時代から行なわれていましたが、日本は欧米で大量生産される安価なの綿製品に勝つことができませんでした。

そこで栄一氏は、大坂紡績会社初代社長の山辺丈夫をイギリスに派遣し、コストを抑えて大量生産する方法を調査させました。

1882年、彼は、大阪財界の重鎮である藤田伝三郎らと共に出資し、現在の東洋紡株式会社である、日本初の民間経営による紡績会社の大阪紡績会社を設立しました。

安価な中国製綿花の導入や夜間操業を行ない、日本の紡績業は輸出が輸入を上回るまでに成長したのです。

 

ビール会社

大手飲料メーカーのアサヒ、サッポロ、キリンの3社で国内ビールシェアの8割以上を占めています。

日本のビールも実は彼が手掛けた事業です。

 

エネルギー会社

日本全国のエネルギー関連会社である東京ガス、大阪ガス、北海道ガスなどの各地の都市ガス会社にも関わりました。

 

工業分野

JFEスチールや三菱重工業、川崎重工業など大手メーカー、5大ゼネコンである清水建設や、国内大手製薬会社の第一三共などがあります。

 

公共機関

交通分野は、明治から昭和にかけて日本各地で交通網が発達した時代でした。

旧国鉄、現在のJRに限ってもJR東日本、JR西日本、JR東海、JR九州の前身を設立し、旧国鉄だけでなく私鉄も多いようです。

関東では、東横線、田園都市線の東急や小田急電鉄、京王電気軌道、京浜電気鉄道などにも関わりました。

 

通信

通信分野では、1919年に日米電信の創立委員を務めていました。

日本電信は1947年に解散し、当時の逓信省に吸収され、現在のKDDIへと至ります。

 

東京都健康長寿医療センター

1909年、70歳を迎えた栄一氏は、金融業以外の60社の事業の役職をすべて辞任します。

1916年には、創設から長年携わってきた第一銀行(みずほ銀行)の頭取も辞め、実業界から引退し、その後は社会貢献活動に尽力していくようになりました。

渋沢栄一像

https://senseki-kikou.net/?p=12692

 

そのなかでも、栄一氏が特に力を入れていた活動が、現在、東京都健康長寿医療センターとなっている「養育院」の運営でした。養育院は、1872年、東京の生活困窮者を支援するために設立されました。

まだ大蔵官僚だった頃から養育院の運営に携わり続け、事業で得た財産を使い、養育院を通して病人や孤児などの弱者を救済しました。1890年(明治23年)、養育院の院長に就任し、引退後も亡くなるまで職務を全うしました。

 

論語と算盤

論語

※Amazonより

 

『論語と算盤』は、大正5年(1916年)に出版されました。渋沢栄一が行った講演を1冊にまとめた本で、100年も前に出版された本はいまなお多くの経営者やビジネスパーソンの座右の書となっています。

「論語」は、中国春秋時代の思想家孔子の名言集で、物事の考え方や道徳などについて述べているものです。

「算盤」は商売のことです。ライバルを出し抜き駆け引きを行うビジネスの世界は、まさに「生き馬の目を抜く」世界です。しかし、だからといって何をしても許される訳ではありません。渋沢栄一は、「道義を伴った利益を追求しなさい」と同時に「公益を大事にせよ」と『論語と算盤』を通じて伝えています。

 

この本が出版された時期は、大正デモクラシーのなかで経済がバブル化し、若者を中心にして金儲けが注目されていた時代でした。このような時代背景において、彼は警鐘を鳴らすために書いたのではないかと言われています。

 

この本が日本で注目を浴びたのは、リーマン・ショック以降です。欲望をむき出しにした資本主義や経営の形を反省すべきという流れが出てきたからです。本が流行った時代背景は、大正デモクラシーの金儲けが注目されていた時代と酷似しているのではないでしょうか。

世界的な時代の流れで、現在CSRへの意識も急速に高まっており、栄一氏の理念や考え方は、時代から受け入れられやすいのでしょう。

最後に

栄一氏が官界からの誘いを断って経済界で生きると決意した際、友人から「金に目がくらんだのか」と強い批判をされました。これに対して彼は「金銭を卑しんでいては国家は成り立たない。ビジネスにおいて論語の教えを一生貫く」と反論したと言われています。

日本では新型コロナウイルスの感染拡大によって今後経済は低迷し、不景気が続いていきます。このような状況の中で、渋沢栄一が新札に選ばれたのは何かメッセージ性があるのではないかと感じます。残された数々の名言の中に今後の企業のあり方のヒントが隠されているかもしれません。

 

<参考>

https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/yukarinochi/?gclid=CjwKCAjwxuuCBhATEiwAIIIz0e_tfWBiUZ_0aCmBEPZWC4XNeYJGmd0vc6vmoJk4GqyeN-zD5sseMRoConwQAvD_BwE

https://rekisiru.com/5531

https://president.jp/articles/-/30274?page=3

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https://www.touken-world.jp/shibusawaeiichi/

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https://toyokeizai.net/articles/-/276401?page=2

https://toyokeizai.net/articles/-/413743?page=4

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