東南アジアの中でも高い経済成長を遂げているベトナムは、日系企業の海外進出先としても人気な国の一つです。
およそ10年前の2009年には日本とベトナム間において、経済連携協定を結び、昨年の2019年1月にはTPP(環太平洋パートナーシップ)も提携した事でも知られています。
経済、貿易面において今後もますます強固な関係に進展していくでしょう。
そんな経済成長が著しいベトナムですが、約40年前までは戦争が終結したばかりの貧しい国でした。
しかし、ドイモイ政策という政治体制に切り替わったことがきっかけで、わずか30年の間に飛躍的な経済成長を遂げました。
人口増加のピークを迎えているベトナムでは現在北のハノイや南のホーチミン、その他主要都市では急速な都市開発が行われています。
それに伴って需要が増している建設資材の市場について、ベトナムが飛躍的に経済成長した背景を交えながら、詳しくお伝えしていきます。
ベトナムの歴史 ~南北統一~
第二次世界大戦後の冷戦状態の中、ベトナムは1955年から1975年までベトナム戦争をしていました。
北ベトナムは共産主義のソ連・中国側が、南ベトナムは資本主義のアメリカ側が支配していて両国侵略のために激しい戦争となったのです。
ベトナム側の戦争死者数は300万人を超え、アメリカ軍が散布した枯葉剤で戦後に奇形児が誕生するなど、ベトナム戦争終結後にも戦争の大きな爪痕を残しました。
そんな戦争が終結すると1976年、南北が統一し、国名が「ベトナム民主共和国」から「ベトナム社会主義共和国」へと変わりました。
つまり、民主主義から社会主義・共産主義体制になったのです。
こうした新しい政治体制の下、戦後復興を掲げて国民の平等な暮らしを目指し、経済は政府が主導で動かしていく「官僚主義的分配経済」が進められていきました。
例えば、人々の食料を配給制とし、国民は指定された日に指定された場所で待たなければ食料を手に入れることができないといったような形です。
当初はこのやり方でも目立った問題はありませんでしたが、その配給は外国からの無償援助に依存していた制度だったため、その援助が途絶えたことによってこの制度を維持できなくなっていきました。
これにより、人々は戦争の影響によって陥った食糧不足からなかなか脱却できず、苦しめられていました。
構築されたこの体制が効果を生み出さないことを理解したベトナム政府は南北統一から10年後の1986年に、第6回ベトナム共産党大会において、国の政治、経済を変えていくという宣言を出しました。
これがドイモイ政策です。この政策は当時のベトナム経済から現在まで急成長させるきっかけとなっています。
ベトナム国内で30年続く「ドイモイ(Doi Moi)政策」
この時に提唱されたスローガンを、「ドイモイ(Doi Moi)」と呼ぶことから、ドイモイ政策と名づけられました。
ドイ(Doi)べトナム語で変化という意味であり、モイ(Moi)は新しいという意味です。「ドイモイ(Doi Moi)」とは日本語で「刷新」を意味します。
「ドイモイ政策」の具体的な内容は次の4点です。
資本主義経済の導入(お金でものが買える経済)
一つは資本主義経済の導入(お金でものが買える経済)です。
べトナム国民は働けば働くほど豊かになることができ、私企業、私有財産も持てるようになりました。
人々は懸命に働き、次第に金銭的価値観が一変していきました。それにともなって生活も豊かになる人が増えました。
国際社会への協調
2つめは国際社会への協調です。
これまでの社会主義政策が緩和されたことによりASEANに加盟していなかったベトナムは、1995年にASEANへの加盟を果たしました。
ASEANへの加盟はヒト・カネ・モノの稼働がより自由になるというメリットがあります。
具体的に説明すると、ヒトの場合は医者や看護師、会計士やエンジニアといった有能な技術をもった労働者がASEAN諸国内で業務に就き、専門的サービスを各国に提供できるようになります。
カネの場合は、投資や資本をASEAN諸国の中で円滑に取引できるようなシステムになります。
例えば、ASEAN諸国内の他国に銀行口座を持っていない資本家であっても、その国に投資ができるといった状況です。
モノの場合は、物流、航空輸送、電子商取引などのサービスが自由化されるよう促進されます。
つまり、経済に関わる大部分を円滑に行えるようにし、経済共同体として成長していこうという趣旨の組織がASEANになっています。
ASEANに加盟している国は、ベトナムの他、インドネシア、フィリピン、ブルネイ、ラオス、タイ、マレーシア、ミャンマー、カンボジア、シンガポールの計10か国です。
ASEAN全体で約6億5000万人の人口を有しており、若年層の割合が高いことが特徴です。
他連盟のEU(28か国)でも約5億人、北米とメキシコ連盟のNAFTA(3か国)では約4億人となっています。
ASEANはそうした他地域の連盟と比べても人口の基盤が大きい分、消費力も比例するため市場の大きな可能性を持っています。
ベトナムのASEAN全体の1/6を占める約1億人となっています。
勿論ベトナムも他国から大きな市場が期待されています。
そしてベトナムの経済成長率は、1986年には3.36%でしたが、 2017年4月時点では6.50%となっており、2倍近い経済成長を果たしています。
国民の生活に必要な産業への投資(農業、食料品とか)
社会主義政策の緩和
3つ目、4つ目が国民の生活に必要な産業への投資と社会主義政策の緩和です。
主に農業や食料品の分野において効果が表れています。
例えば米でいうと、かつては外国からの輸入に頼っていましたが、このドイモイ政策による農業への投資と市場での競争原理が導入されたことによって、政策転換宣言からたった3年後の1989年には世界第3位の米輸出国にまで急成長しました。
参考:http://asenavi.com/archives/9984より抜粋
「ドイモイ政策」が導入されたことで、ベトナム国民のお金に対する価値観は一変
「ドイモイ政策」が導入されたことで、ベトナム国民のお金に対する価値観は一変しました。
ベトナムの方の生活も変化したことはもちろんですが、それまでの社会主義政策が緩和されたことによりASEANに加盟していなかったベトナムは、1995年にASEANへの加盟を果たしました。
ASEAN発足が1967年ですから、それから30年近く経ってようやくベトナムも加盟したことになります。
現在もなお続いている「ドイモイ政策」。
その経済成長率は、1986年には3.36%でしたが、 2017年4月時点では6.50%となっており、2倍近い経済成長を果たしています。
貿易額は着実に増加しており、特に 2007 年の WTO 加盟により輸入が大きく伸びました。
そのために貿易収が赤字になりましたが、2012 年には黒字化を実現しています。
ベトナムの貿易の特徴は、中国から中間財と耐久消費財を輸入し、衣類や靴などの軽工業品を米国に輸出している構造です。
ドイモイ政策による経済開放が現在も継続されていることでベトナム国内の流通も盛んになり、輸入品だけでなく、自国製品も多く市場に出回るようになりました。
都市開発
人口が増加し、人々は田舎から都心部へと出てきました。
その人口の推移を見てみましょう。
1995年と2016年の都心部と地方を比べてみると、地方はたった6.4%の増加でしたが、都心部では114.1%と爆発的に増えました。
これは明らかに地方から都心部へ出稼ぎなどで移動してきたことが判明します。
今回調査したホーチミンもこのように人口が集中的に集まっており、都市開発が活発化している場所の一つです。
ホーチミン市は人口増加に伴い、国家都市開発プロジェクトや衛星都市計画に基づいて数々の建設工事が行われています。
ベトナム建設業界において、今後は商業都市であるこのホーチミンを中心とした建設需要が見込まれています。
実際にこの地では2018年から2030年に実施予定のプロジェクトは842件であります。
首都のハノイが572件であることに比べると、その多さは一目瞭然です。
その他の5大都市である、ダナン、ハイフォン、ニャチャン、カントー、ブンタウの合計でも半数の350件を下回る件数なのでホーチミンの今後の建設需要の高さは圧倒的です。
それに伴って、ホーチミン現地の施工会社の仕事量は5年前に比べて、3~4倍になっています。
都市開発が年々進むにつれ、建築物が増えていることにより、建築資材の仕上材の需要が増してきています。日系の施工会社も進出してきているようです。
このような日系企業とタッグを組むことも、日本製仕上材のシェアを伸ばす一助となるかもしれません。
またベトナムの建設における市場経済は、年間平均成長率が13%ととても速いスピードです。住宅需要が全体の7割、非住宅需要は3割で年間平均13%の成長率を維持しています。
この国は外資企業が進出する際には、様々な厳しい制限があることで有名ですが、こうした都市開発に伴う建設業界への需要により、規制を緩和している動きが見られます。
この緩和によって外国資本を稼いでいくことが狙いであります。
以上の状況から、日系企業の建設業界はベトナムでのビジネスチャンスの可能性を見据えて、次々に進出してきています。
どのような日系企業が進出してきているのでしょうか。
現在ホーチミンでは60社以上の日系建設企業があります。そのうち代表的な企業は以下の通りです。
進出している日系建設企業の代表例
Daiwa House Industry
単身用の住宅、高層ビルの建設をメインとしていますが、現在では世界的にエネルギーや環境分野の大型プロジェクトにも力をいれています。
OBAYASHI VIETNAM CORPORATION
ホーチミン、ハノイ、ハイフォンの3か所に拠点を置き、材ベトナム日本国大使館や国際空港、トンネル、高速道路といった数々の大型プロジェクトに携わり、ベトナム国内でも有数の外資系企業として知られています。
エムオーテックベトナム
設立60年以上もたつ日本でも有名な建設資材会社であり、主に高速道路、航空、港湾といったインフラ整備に貢献しています。
Tokyu Corporation
日本でも鉄道で有名な東急株式会社。ベトナムでは主に、都市開発、鉄道、ホテル・リゾート、教育機関の建設に携わってきています。
TU-Fujita Engineering&Construction
戸田ベトナム
マエダベトナム
Japan Technology&Engineering
出光エンジニアリングベトナム
Toyo Construction
建築資材・仕上材の需要増加
この章では、べトナム市場における建築資材、仕上材の需要についてみていきます。
仕上材とは建物の内外装に使用される、直接人々が目にする部分の表面材料のことで、床や壁、天井を覆うための材料を指します。
仕上材には外装用と内装用の2パターンあります。
外装では屋根材や外壁材が代表的です。
そのなかでも、瓦や金属板、モルタル、タイル、木材、石材などがあります。内装では壁紙、塗り材、フローリングなどがあります。
ベトナムの建設現場ではこうした仕上材事情はどうなっているのでしょうか?
今回は、あるジャンルの仕上材市場についてベトナム国内にて調査を行った中での情報を記載致します。
べトナム国内では、家を建てたり、リフォームをする際に、仕上材のおすすめメーカーを施工、または設計会社が紹介し、エンドユーザーがメーカーを指定するという仕組みになっています。
また今回のケースですと主要メーカーが2社しかないため、問屋は一応存在するものの、在庫管理などの問屋として機能はしておりませんでした。
またこの時、戦争時代の歴史的な背景と品質への信頼度から中国製を選ばない人も少なからず存在します。
一方、タイやインドネシアでは、タイが40-50%、インドネシアが70%、中華系の製品がシェアを占めています。
また、主要メーカーが数社あるため、問屋が仲介しています。
ベトナムはそういった点ではASEAN諸国の中では中華系による経済的影響が少ない方だと言えます。
ところで日本製品はいったいベトナムの現地で需要はあるのでしょうか。
仕上材の価格帯をハイエンド、ミドルレンジ、ローエンドと分類して考えてみましょう。ハイエンドは高機能、高性能で上級者向けの製品群、ミドルレンジは性能と価格のバランスをとった中堅クラスの製品群、ローエンドは性能の低い、低価格な製品群を指します。
べトナム国内での日本製品は、このハイエンドに値することが一般的です。
ベトナムの建設事情については、過去に地震などの大きな災害がなかったことから耐久性や耐震性面が脆弱である場合が多いです。
どのような建物を建てるかにもよりますが、安価な建設資材を使って立てているケースも少なくないのが現状です。
そのため、日系企業の高度な技術力は今後都市の発展のなかで需要が高まる可能性はあるものの、実際には高品質を求める業者が多いとは限らないという課題もあるとされています。
しかしこのような一面がある一方で、私たちがホーチミンを現地調査をした際には「長く使うものに関しては質が良いものを選ぶ」というべトナムの人々の志向から、ハイエンド・ミドルレンジの製品が選ばれやすくなっていることも明らかとなりました。
お客様が長持ちさせることを重視していたり、耐久性に優れた建物を求めている場合は、日本製品の品質の良さが評判となり、ブランド化することに成功すれば、べトナム国内での仕上材シェアを日本製品が多く占めることもできる可能性があります。
一方で、できるだけコストを安く抑えたいお客様の場合には、高品質のハイエンドではなく、ミドルレンジあたりの価格が需要に合っていると言えるでしょう。
まとめ
今回は経済成長が著しいベトナムでの建設事情と仕上材の市場について、歴史的背景を取り上げながらお伝えしてきました。
ベトナムには高品質を求める現地の建設企業が増えている傍ら、低コストで抑えたいという声も少なからずあります。
そうした点は「日本の高品質」を求めているところに進出させていくことが重要となってきます。
日本の高品質・高機能の製品はベトナムの建設業界の中でも非常に価値の高い物であるため、そうしたところから製品の性能をアピールし顧客をつかみ取っていくことがカギとなります。