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ASEANの最低賃金はどこまで上がったか|生産移管の判断材料として読む
2026.08.02 更新 / PROVE通信編集部
監修:森英朗(グループ代表)
ASEANの最低賃金はどこまで上がったか|生産移管の判断材料として読む

ASEANの最低賃金はどこまで上がったか|生産移管の判断材料として読む

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ベトナム・インドネシア・タイ・フィリピンの最低賃金は、2026年に入ってそれぞれ異なる方式・異なる時期で引き上げられました。「ASEANの人件費は上がっている」という一言でまとめると、どの国がどれだけ、いつから上がったのかが見えなくなります。さらに2026年は、米国の関税政策の変化によって「中国から出た生産の一部が中国に戻る」という逆方向の動きまで観測されています。最低賃金の数字と、その裏で起きている生産移管の実態を、一次情報で整理します。

最低賃金は上がり続けている——4カ国、上昇率も改定日もバラバラ

ベトナム・インドネシア・タイ・フィリピンはいずれも、全国一律ではなく地域ごとに最低賃金を定める制度を採っています。この時点で「ASEANの最低賃金はいくらか」という単一の問いには答えがありません。加えて2026年は、4カ国それぞれで改定の方式そのものが変わったり、過去最大級の引き上げ幅が決まったりと、動きが重なった年でもあります。まず国別に何が起きたかを時系列で押さえます。

ベトナム——2026年1月1日、4地域で平均7.2%引き上げ

ベトナム政府は2025年11月10日、政令293号(Decree No. 293/2025/ND-CP)を公布し、2026年1月1日付で地域別最低賃金を改定しました。旧政令74号からの引き上げ幅は月額25万〜35万ドン、平均で7.2%です。改定後の月額最低賃金は、最も高い第1地域(ハノイ・ホーチミン市中心部等)が531万ドン、第2地域が473万ドン、第3地域が414万ドン、最も低い第4地域が370万ドンとなりました。あわせて、雇用保険料の算定上限が最低賃金の20倍に連動するため、社会保険料の実質負担もこの改定に合わせて上がっています。

インドネシア——「インフレ+成長率×アルファ」という新方式、ジャカルタは6.17%増

インドネシアは2025年12月17日、プラボウォ大統領が新しい賃金算定に関する政府規則(PP第49号)に署名し、2025年までの「政府が引き上げ率を一括提示する方式」から、「インフレ率+(経済成長率×アルファ係数)」という計算式に転換しました。アルファ係数は0.5〜0.9の範囲で各州の賃金審議会が決定します。首都ジャカルタは12月24日、アルファ0.75を採用し、2026年の州最低賃金(UMP)を前年比6.17%増の月額572万9,876ルピアに決定しました。労働組合側は「生活費の実態に届いていない」として100万ルピア規模のさらなる上乗せを求めるデモを行いましたが、政府は新方式の範囲内での決定を維持しています。

タイ——「日400バーツ」はまだ全国一律ではない

タイの最低賃金は「日400バーツ」という数字だけが独り歩きしがちですが、2026年8月時点でもこれは全国一律ではありません。400バーツが適用されるのはバンコク、チャチェンサオ・チョンブリー・ラヨーン(東部経済回廊)・プーケット・スラートターニー県コサムイ郡と、全国のホテル業(2〜4種)・娯楽業に限られます。それ以外の県は337バーツから380バーツまでの段階的な水準にとどまっており、たとえば労働集約型の製造業が多い地方県では350バーツ前後という水準も珍しくありません。タイ政府は2027年までに「日600バーツ」を掲げていますが、2026年後半にも追加の引き上げが予告されており、地域差を前提にした賃金設計が今後も続く見込みです。

フィリピン——マニラ首都圏、2段階で85ペソ引き上げという「過去最大」

フィリピンの首都圏(NCR)賃金審議会は2026年、非農業部門の日額最低賃金を695ペソから780ペソへと、過去最大となる85ペソ引き上げる賃金命令(Wage Order No. NCR-27)を決定しました。第1弾の60ペソ引き上げ(695→755ペソ)は2026年7月25日に、残る25ペソ(755→780ペソ)は2027年1月20日に発効します。労働雇用省はこれを「首都圏における単発の賃上げとしては過去最大」の引き上げと説明しており、対象は首都圏の民間労働者110万人超です。ただし、この引き上げは首都圏に限られたもので、地方の賃金審議会は別途、それぞれの改定時期に沿って審査を進めています。なお2026年7月30日、パシグ市地方裁判所(第152支部)はこの賃金命令の実施を一時的に差し止める制止命令(TRO)を発出し、2026年8月13日まで効力が続く見通しです(審尋は8月3日予定)。労働雇用省は異議を申し立てて争っており、7月25日の発効から差し止めまでの間に支払われた分は既得権として維持される一方、制度全体の帰趨は8月中旬以降の司法判断に委ねられています。進出企業にとっては「決定済みの引き上げ」ではなく「司法審査中の引き上げ」として賃金設計に反映する必要があります。

賃金だけを並べると見誤る——実質人件費は社会保険料・残業規制で変わる

ここまでの4カ国の数字を並べるだけでは、企業が実際に負担する人件費は分かりません。ベトナムでは雇用保険料の算定上限が最低賃金に連動して上がる仕組みがあり、インドネシアでは社会保障拠出金(BPJS)の企業負担が別途発生します。タイでは社会保険料率が賃金水準にかかわらずほぼ一定である一方、残業規制や祝祭日手当の運用が県・業種によって異なります。フィリピンでは最低賃金に加えて13カ月目賃金(13th month pay)の支給が法定義務です。これらを積み上げると、「最低賃金が最も低い国が最も人件費が安い国」とは限らないという逆転が起こり得ます。ジェトロの投資関連コスト比較調査のような、賃金以外の項目まで含めた比較データを見ずに移管先を決めるのは危険です。工業団地の賃料や駐在員住宅費、輸送コストといった固定費まで積み上げて初めて、進出先ごとの総コストが見えてきます。賃金水準だけを根拠にした意思決定は、こうした固定費の差を見落とすリスクを抱えています。

中国から出た生産は今、どこにあるのか——「China+1」から「デュアルソーシング」へ

2018年以降の関税を背景に進んだ「チャイナ・プラスワン」は、2026年には単純な「中国から出る」動きではなく、「中国に高付加価値工程を残しつつ、東南アジアで最終組立を行う」デュアルソーシング型に変わってきています。ある家電サプライチェーンの調査では、2025年時点で製品の4分の3を中国国外で生産できる体制を整えた企業でも、実際の生産の3分の2はなお中国国内にとどまっていた例が報告されています。理由はコスト面で中国の工場がなお優位を保っているためです。ベトナムは依然として電子機器・履物・アパレル分野で有力な移管先である一方、部材の多くを中国から輸入して現地では組立のみを行う「見せかけの現地生産」への監視も強まっています。

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2026年2月、米国の関税一本化が生んだ「逆流」

2026年2月、米国が中国製品に上乗せしていた相互関税・フェンタニル関連関税(合計20%分)を撤廃し、全世界一律10%の関税に統一したことで、中国からの輸出とベトナム等からの輸出の関税差はおよそ15ポイントから5ポイント未満まで縮小しました。この結果、広東省中山市の扇風機メーカーでは、米国の取引先が100セット以上の金型をベトナムから中国へ戻し、発注量が百万個規模で回復したと報じられています。江蘇省の電子部品サプライヤーでも、これまで発注の1〜2割しか中国に割り当てていなかった多国籍企業の取引先が、2026年に入って発注の過半を中国に戻した例が報告されました。関税差が縮小すれば、賃金の安さだけでは東南アジアを選ぶ理由が弱まるということです。

燃料・電力の不安定さが教えてくれること——ベトナムの停電騒動

2026年には、イラン情勢の緊迫化に伴う燃料不足の影響で、ベトナムなど一部の東南アジア工場が操業に支障をきたす事態も発生しました。サプライチェーン監査会社Qimaの創業者は、こうした「少しのストレス」が生じただけで、燃料が確保できなくなった工場から発注元が中国へ生産を戻す動きが起きたと指摘しています。最低賃金の数字だけを見て移管を決めた場合、こうした電力・燃料インフラの脆弱性というリスクは事前に織り込まれません。中国の供給網が数十年かけて築いた強みは、インフラの安定性と部材調達の速さにあり、これは賃金差では埋まらない部分です。

日本企業への含意——賃金比較の前に確認すべき3点

ASEANへの生産移管や新規投資を検討する日本企業にとって、最低賃金の数字はスタートラインに過ぎません。第一に、進出予定の地域が現地のどの賃金区分(ベトナムなら4地域区分、タイなら県別区分など)に該当するかを個別に確認すること。第二に、社会保険料・残業規制・法定賞与など賃金以外の固定費を積み上げた「実質人件費」で比較すること。第三に、米国の関税政策や現地の電力・燃料インフラといった、賃金以外の変動要因が生産コストを逆転させ得ることを前提にシナリオを複数用意することです。最低賃金の引き上げそのものは今後も続く見込みですが、それが移管の決め手になるかどうかは、この3点を確認して初めて判断できます。あわせて、賃金改定は各国とも年1回とは限らず、タイのように年内に複数回の追加改定が予告されている国もあるため、進出後も定点観測を続ける体制を持っておくことが望ましいと言えます。

読み解きのポイント ①ベトナムは2026年1月から4地域平均7.2%増 ②インドネシアは新方式でジャカルタ6.17%増 ③タイの400バーツはまだ一部地域限定 ④フィリピンはNCRで過去最大の85ペソ増(2段階) ⑤2026年2月の米関税一本化で一部生産が中国に逆流する動きも

最低賃金の引き上げは、どの国でも避けられない構造的な流れです。しかし2026年に観測された「中国への逆流」が示すのは、生産移管の判断は賃金の高低だけでなく、関税政策・インフラの安定性・部材調達の速さという複数の変数の組み合わせで決まるということです。数字を追うだけでなく、その数字が動いた背景まで理解しておくことが、次の一手を誤らないための前提になります。単年の水準比較で終わらせず、複数年の推移として捉える視点が欠かせません。

よくある質問

Q. ASEANで最低賃金が最も高いのはどこですか?

一国の中でも地域差が大きいため単純比較は困難ですが、都市部ではタイ・バンコクの日400バーツ(月換算で概ね1万2,000バーツ前後)やインドネシア・ジャカルタの月572万9,876ルピアなど、いずれも各国内で最上位の水準です。

Q. なぜ生産が中国に戻る動きが出ているのですか?

2026年2月の米国関税一本化で中国とベトナム等の関税差が縮小したことに加え、燃料・電力インフラの不安定さが東南アジアでのリスクとして意識されたためです。

Q. 賃金比較で見落としやすい点は何ですか?

社会保険料の算定方法、残業規制、法定賞与(フィリピンの13カ月目賃金など)といった賃金以外の固定費です。これらを含めないと実質人件費を誤って比較することになります。

主な出典

ベトナム政府 Decree No. 293/2025/ND-CP(2025年11月10日公布)/Baker McKenzie・Crowe Vietnam・ASEAN Briefing各解説記事(2026年)/インドネシア政府規則PP第49号2025年(Kemnaker発表)/BBC Indonesia・Tempo・Bisnis.com(2025年12月、ジャカルタUMP2026関連報道)/タイ労働省プレスリリース(2025年7月付、賃金委員会告示第14号)/G.A.M. Legal Alliance解説(2026年3月時点)/フィリピン労働雇用省(DOLE)・Philippine Information Agency発表(2026年6-7月、Wage Order No. NCR-27)/Rappler報道(2026年)/Asia Pacific Responsible Supply Chain Desk、CXTMS、CMGM.net、The Vibes各社の2026年サプライチェーン動向分析記事。数値は各一次資料・政府発表に基づく。

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※2026年8月時点の情報をもとに作成しています。監修:森英朗(グループ代表)。

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