タイのEV議論を「中国勢が進出してきた」で終わらせると、投資判断の材料にはなりません。押さえるべき数字は4つです。①2030年に生産の30%をゼロエミッション車にする「30@30」(乗用車換算で約72.5万台など)。②EV3.5の輸入優遇に対する現地生産義務(2026年に1:2、2027年に1:3)。③輸出1台を義務達成で1.5台分と数える緩和。④EVサプライチェーン投資の累計額(BOI説明で約1,377億バーツ)。この4つが揃うと、タイは「国内販売市場」ではなく「輸出拠点かつ義務消化の場」という姿を見せます。日本企業が取るべき分岐も、この4つの数字から決まります。数字を分解しないまま議論をまとめると、進出ニュースの要約で終わってしまいます。
当コラムで注目する用語
- 30@30:タイが掲げる目標で、2030年までに自動車生産の少なくとも30%をゼロエミッション車(ZEV)にするというもの。国内販売シェアの目標ではない。
- BOI(タイ投資委員会):タイの投資誘致・許認可を担う政府機関。EV3.5など各種優遇制度を運営する。
- EV3.5:BOIが定める電気自動車の輸入・生産に関する優遇制度。輸入に応じた現地生産義務(補償比率)を課す仕組みを含む。
- CBU(完成車輸入):海外で完成した状態のまま輸入される自動車のこと。現地組立(CKD)と対比される。
30@30を分解する——「普及率」ではなく「生産比率」
BOI(タイ投資委員会)が繰り返し示す30@30は、国内販売シェアの話ではなく、自動車生産に占めるゼロエミッション車(ZEV)比率を2030年までに少なくとも30%にする目標です。公式資料では、乗用車側で約72.5万台、二輪で約67.5万台という規模感が併記されています。「タイでEVが売れるか」と「タイでEVを作るか」は別の指標です。国内需要が弱くても、生産比率目標とインセンティブが動けば工場投資は続きます。逆に国内登録が増えても、生産義務を輸出で消化する設計であれば、タイは域内販売拠点というより輸出ハブに寄ります。日本企業のタイ工場計画には、国内ディーラーの販売予測だけでは足りません。生産台数のうち何割を輸出義務の消化に回すかを、先に置く必要があります。ここを先に置かない計画は在庫と義務の両方でつまずき、挽回に1年単位の時間がかかります。
EV3.5の生産義務を分解する——1台の輸入が何台の現地生産を呼ぶか
補償比率も重要な数字です。EV3.5関連のBOI資料では、優遇付きで持ち込んだ完成車(CBU)に対し、2026年までに現地生産でおおむね1:2、2027年までに1:3で相殺するという整理が示されています(制度の細則・対象区分は通知で確認)。つまり輸入で需要を先取りした企業ほど、後年の現地生産コミットが重くなります。たとえば1:2の年であれば、優遇付きで輸入した1台につき現地生産2台分のコミットが積み上がる計算です。この構造が、中国系完成車メーカーの工場投資を加速させました。日本企業にとっても構図は同じです。輸入でつなぐ戦略は、将来の生産キャパとサプライヤ認定の前倒しを意味します。「いまの輸入台数」だけを見て安心し、「将来の補償台数」を設備計画に入れ忘れると、2027年の比率引き上げで一気に不足が表面化します。臨時輸入では解けません。義務そのものが残るため、工場の稼働計画を見直さざるを得なくなります。
輸出1.5倍カウントを分解する——義務消化の係数が変わった
2025年7月のEV Board決定も見逃せません。BOI公式リリースによると、輸出向けに現地生産したEV1台を、生産義務の達成計算で1.5台分として計上できるよう調整した、と説明されています。従来は国内登録中心に寄っていたカウント方法を、輸出も含めて義務消化しやすくした形です。当局側の見通しでは、この緩和によってEV輸出が2025年に約1.25万台、2026年に約5.2万台規模へ増えるとされています(見通しであり確約ではありません)。係数1.5は小さく見えても、義務が1:2〜1:3の世界では効いてきます。同じ工場でも国内向けと輸出向けの配分を変えるだけで、義務達成の見え方が変わるからです。日本企業の生産計画は、台数合計だけでなく「義務カウント後の実効台数」で見る必要があります。実効台数を見ない計画会議は、輸出比率の議論だけを繰り返し、現場のラインまで届きません。
投資額1,377億バーツを分解する——完成車だけでは足りない
サプライチェーン投資の規模も見ておく必要があります。BOI/EV Boardの進捗説明では、2025年6月末時点でEV・主要部品・充電・バッテリー交換などに関する承認投資が累計約1,377億バーツ(約42億ドル規模の説明)に達したとされています。内訳は完成車だけでなく、部品・充電・電池関連を含む点が重要です。BOIの広報誌(2025年)では、過去3年でxEV・部品関連の投資申請が644件、金額は86.2億ドル超という数字も示されています(集計定義の差に注意)。644件という母数の広さは、完成車メーカー単体では説明できない規模であることを示しています。完成車工場のニュースだけを追うと、部材・電池・充電の層を見落とします。日本の部品メーカーにとっての機会は、むしろこの層にあります。完成車の義務が重くなるほど、現地調達と認定の需要が増えるからです。投資額を「完成車の話」に丸めてしまうと、自社の提案余地を自分で狭めたまま価格だけの商談に持ち込むことになり、タイの係数競争では勝てません。
BYDとChanganの数字が示すもの——雇用と輸出の向き
個別企業の数字も判断材料になります。BOI広報では、BYDをタイ最大級のEV雇用主とし、従業員6,100人超(うちタイ人約92%、2026年時点)、2026年に8,000人規模・タイ人比率95%を目指す、と紹介されています。Changanは2025年5月16日にタイで初の海外工場を稼働させ、右ハンドル車の域内向け供給に加え、R&Dと地域統括、約2,000人の熟練雇用を掲げていると、BOIが成功事例として示しています。ここから読めるのは、タイ拠点が「国内向け組立」だけでなく「域外・右ハンドル市場への供給」を前提にしている点です。日本企業が同じ土俵で戦うなら、既存のASEAN向け輸出ネットワークをEVに載せ替える速度が勝負になります。載せ替えが遅いと、同じ工業団地でも顧客の引き合いが中国系サプライヤに流れ、一度定着すると取り戻すのに年単位の時間がかかります。
補助金と税の数字——需要側のレバーは縮小しつつある
需要側の数字も欠かせません。EV3.5では車両タイプ・電池容量・適用年に応じた購入支援と、物品税の軽減(例:条件付きで8%から2%へ)などが用意されています。乗用車では価格帯と電池容量で支援額が分かれ、高価格帯は支援が薄くなる設計です。重要なのは、支援が永続しないことです。年限と条件が切れれば、需要は政策依存から実需へ移ります。そのとき残るのは生産義務と輸出係数の側であり、タイ政策の重心はすでに「買わせる」から「作って出す」へ移っています。日本企業のタイ販売会社が補助金前提の需要計画を残したままだと、工場側の輸出計画と矛盾が生じ、在庫か義務違反のどちらかで表面化します。販売計画と生産計画の前提数字は、早い段階で揃えておくべき条件です。
日系完成車の数字の読み方——既存拠点は強みか、惰性か
日本企業はタイにICE(内燃機関)車の拠点を数多く持っています。BOI広報も、MazdaがB-SUV/MHEV(マイルドハイブリッド車)を年10万台超規模で輸出向けに生産する計画や、Nissanの次世代HEV(ハイブリッド車)ラインなど、既存勢の電動化投資に触れています。両社の計画に共通するのは、新設ではなく既存工場を土台にした投資である点です。とはいえ「拠点がある=EVでも勝つ」とは限りません。強みはサプライヤ網と熟練工、弱みはEV専用の電池・電子アーキテクチャと中国系の速度です。取り得る分岐は3つあります。①既存工場でHEV/MHEVの生産を伸ばし、ZEV比率を段階的に上げる。②BEV(バッテリー式電気自動車)をタイで作り、輸出1.5倍カウントで義務と採算を両立する。③完成車は輸入や他拠点に任せ、タイは部品・ASEAN物流に特化する。中堅サプライヤは完成車メーカーの選択に引きずられるため、顧客OEMが①②③のどれを選ぶかを先に確認しないと、設備投資が空振りに終わり、減価償却だけが残って次の稟議も通りにくくなります。
部品・電池の数字——現地化比率が次の競争軸
政策広報では、部品の現地化や電池関連投資を促すメッセージが強まっています。二次情報では、電池セル輸入比率の上限や現地調達の要件強化が議論・導入されているとの説明もあります(細則は官報・BOIの最新通知で確認する)。確かなのは、完成車の義務が重くなるほど、電池・インバータ・ハーネス・熱管理などの現地供給がボトルネックになるという構造です。日本の部品メーカーが出すべき数字は、「タイ向け売上」ではなく「顧客OEMの義務達成に何%貢献するか」です。貢献度が見えない提案は価格競争に押し戻されますが、義務カウントと輸出計画に紐づく納入計画を出せれば、商談で優先されやすくなります。係数の話を含む提案かどうかが、その分かれ目です。
混同しやすい境界——「タイEV=国内ブーム」ではない
登録台数の伸びだけを見ると、タイはEVブームの国に見えます。しかし政策の中核数字は生産比率・補償比率・輸出係数です。国内需要が鈍い局面でも、輸出係数と義務が工場稼働を支える設計になっています。もうひとつ多い誤解は「中国系だけが得をする制度」という見方ですが、条件は国籍ではなく輸入と現地生産のバランスで決まります。「日本企業は何もしなくても拠点で勝てる」という見方も同様です。拠点は資産ですが、EVの部品構成が変われば資産の中身も更新が必要になります。ブーム論でも敗北論でもなく、この4つの数字に自社計画を当てはめることが実務としては正しい向き合い方です。数字を反映できていない計画は、ニュースを読んだ感想の域を出ていません。
この先の分岐——4つの数字を一枚の計画に落とす
実務に落とし込むなら、次の5点です。(1) 自社/顧客の輸入実績から、2026〜27年の補償必要台数を試算する。(2) 輸出1.5倍カウントを織り込んだ実効生産台数を出す。(3) 30@30に向けたZEV比率の社内シナリオを、国内販売と輸出に分ける。(4) 部品・電池の現地化ギャップを金額とリードタイムで示す。(5) 経営会議には「EV市場は伸びるか」ではなく、この4つの数字の感度表を出す。感度表があれば増産・輸出・撤退の議論が同じ土俵に乗り、なければ毎回の市況ニュースで議論がリセットされてしまいます。タイのEV政策は感情論のテーマではなく、係数と比率のテーマです。係数と比率が埋まって初めて、拠点戦略が書けます。
読み解きのポイント ①30@30は生産比率(約72.5万台規模の公式併記) ②EV3.5は2026年1:2→2027年1:3の補償イメージ ③輸出1台=義務1.5台(2025-07 EV Board) ④サプライチェーン投資累計約1,377億バーツ ⑤日系は拠点の有無より、義務・輸出・部品の三点で分岐
タイのEVを数字で分解すると、国内ブームの話から輸出拠点と義務消化の話に切り替わります。日本企業が追うべきは登録台数の見出しではなく、補償比率と輸出係数です。この4つの数字を一枚の感度表に落とし込めば、次の設備投資や顧客提案の判断材料になります。感度表を持たない議論は現地ニュースの要約にとどまり、同じ見出しで毎回リセットされてしまい、現場のラインを動かす力を持ちません。
よくある質問
Q. 30@30とは何ですか?
2030年までに自動車生産の少なくとも30%をZEVにするタイの目標です。販売シェア目標ではありません。
Q. 生産義務の1:2/1:3とは?
優遇付き輸入に対し、後年に現地生産で補償する比率の整理です。詳細はEV3.5の適用区分で確認します。
Q. 輸出1.5倍カウントはいつから?
2025年7月のEV Board決定としてBOIが説明。輸出1台を義務計算で1.5台分と計上する緩和です。
Q. 日系企業は何を優先すべきですか?
補償必要台数の試算、輸出係数込みの生産計画、部品現地化ギャップの三点です。
主な出典
BOI「EV Board Gives the Green Light to EV 3.5…」/BOI「EV3.5」概要PDF/BOI PR(EV輸出1.5倍カウント・投資1,377億バーツ等)/BOI TIR Newsletter 2025 Issue2(BYD・Changan・投資申請件数)/Reuters(2025-07-30政策調整の報道)。
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※2026年8月時点の情報をもとに作成しています。監修:森英朗(グループ代表)。
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