フィリピンでは2026年、大統領がMemorandum Order No.47により「2026 Strategic Investment Priority Plan(SIPP)」を承認しました。財務省傘下のFiscal Incentives Review Board(FIRB)もこれを歓迎し、CREATE法およびCREATE MORE法(Republic Act No.12066)の下で優遇対象となる優先活動の設計図だと説明しています。半導体・電子、クリーンエネルギー、デジタルインフラ、AI・サイバーセキュリティなどが前面に出ています。では、リストに載った瞬間に投資は決まるのか。答えは「否」です。リストは入口であり、実施ガイドライン・Tier・承認主体・電力と人材が揃って初めて、日系の稟議が通ります。本稿は、その「足りないもの」を問いとして立て、整理します。問いを飛ばした稟議は、現地で必ず書き直しになります。書き直しは、時間と信用の両方を削ります。
問い——リストに載れば投資は決まるのか
最初の問いは単純です。SIPPに半導体や電子が入ったから、今すぐ工場を建てるべきか。結論から言えば、リスト掲載は「優遇の候補になり得る」という信号であって、個別案件の許可でも、電力枠の保証でもありません。FIRBの説明でも、承認後に関係省庁が実施規則を出し、同期して運用することが求められています。日系企業がやりがちな誤りは、見出しの「承認」を「自社案件のGo」と読み替えることです。Goになるのは、活動がどのTierか、どのInvestment Promotion Agency(IPA)かFIRBかを特定し、Income Tax Holiday(ITH)や特別法人税・追加控除のパッケージを数値化したあとです。数値が書けない段階では、リストは営業資料の背景画像にすぎません。背景画像だけでは、投資委員会は動きません。動かない委員会に、同じ見出しを何度持ち込んでも結果は同じです。
2026 SIPPとは何か——MO No.47で何が変わったか
二つ目の問いは、今回の文書が何を変えたかです。FIRBによると、2026 SIPPは2022版の枠組みを引き継ぎつつ、高度技術・デジタル経済寄りの高付加価値案件を強めた、と整理されています。FIRBは2025年12月15日付Resolution No.015-25で案を採択し、BOIは2026年4月10日付Board Resolution No.10-03で提出を承認、その後大統領側のMemorandum Order No.47(報道では2026年5月21日署名)で確定、という手続きの流れが公式に示されています。変わったのは「優先の中身の重心」です。雇用吸収型だけでなく、サイバーセキュリティ、人工知能、データセンターなど構造転換型が明示されました。日系が見るべきは、自社工程が「雇用型」か「高度製造・R&D型」かです。重心の読み違いが、申請の書き方を狂わせます。
CREATEからCREATE MOREへ——優遇期間はなぜ延びたのか
三つ目の問いは、法の側です。CREATE MORE(RA 12066)は、CREATEの優遇を拡張する改正です。FIRBの資料や条文整理では、投資規模や承認主体により、ITHのあとに特別法人税(SCIT)やEnhanced Deductions(EDR)を組み合わせ、最大で二十数年規模(条件により24〜27年の整理)まで延長し得る枠組みが示されています。一方でITH自体はおおむね4〜7年の範囲に留まる、という整理が専門家解説でも共通します。問いの核心は、「期間が長い=すぐ得をする」ではない、という点です。長いのは、登録事業が条件を満たし続けた場合の上限です。雇用要件や拡張案件の扱い、開始時期の起算(商業運転開始など)を誤ると、期待した年数が手元に残りません。日系の財務モデルは、上限年数ではなく、自社が取れるパッケージの下限から組むべきです。下限から組まないモデルは、取締役会で必ず疑われます。
Tierの問い——半導体・電子はどこに置かれたのか
四つ目の問いは、階層です。現地報道・解説では、半導体・電子の製造はTier Iの優先活動に含まれる、と整理される一方、ウエハ製造(wafer fabrication)やAI・サイバーセキュリティ・データセンターなどはTier IIIの高度・イノベーション側に置かれる、という説明もあります(官報附属リスト原文の直接照合は本稿執筆時点では未完了のため、申請前にBOI一次で再確認が必要)。ここが紛らわしい。後工程・電子組立と、前工程・高度製造では、優遇の長さや審査の厳しさが変わり得ます。日系が「フィリピン=半導体優遇」と一枚にまとめると、自社がどのTierに入るかが消え、申請書の書き方がブレます。問いを正確に立てるなら、「自社は電子製造(Tier I寄り)か、ウエハ/高度製造(Tier III寄り)か、それとも両方のハイブリッドか」です。ハイブリッドなら、工程ごとに申請単位を分ける検討が先です。分けない申請は、審査で必ず戻されます。
なぜ「ガイドライン未整備」が論点になるのか
五つ目の問いは、タイミングです。BusinessWorld等の取材では、BOIが2026 SIPPのGeneral Policies/Specific Guidelinesを2026年第3四半期公表予定とし、それまでは2022版のガイドラインが当面有効、と説明した、と報じられています(BOI公式サイトの一次発表文は本稿執筆時点で未確認。申請設計は最新の公式案内に合わせる)。つまり、リストは新しく、詳細ルールは過渡期にあり得ます。日系が今すぐ大規模投資を稟議するなら、「新SIPPの方向性」と「現行ガイドラインの実務」の二枚を並べる必要があります。一枚しかない資料は、現地弁護士とIPAに聞いた瞬間に穴が開きます。問いの答えは、急ぐなら現行ルールで仮置きし、新ガイドライン公表後に再申請・修正の余地を契約に残す、です。余地を残さない契約は、ルール更新で揉めます。
FIRBとIPA(Investment Promotion Agency:投資促進機関)——誰が承認するのかという問い
六つ目の問いは、承認の主体です。CREATE MOREの整理では、投資資本が一定規模(解説では150億ペソ超など)を超える案件はFIRB承認、それ以下はIPA承認、という分担が示されます。期間の上限も、承認主体によって差が出る設計です。日系の中堅案件はIPAルートが多い一方、大規模な半導体・データセンターはFIRB側の論点に入りやすい。問いを立てずに「BOIに出せばよい」とだけ書くと、窓口を間違えます。正しい問いは、「投資額・輸出比率・立地(経済特区か)で、最初の窓口はどこか」です。窓口が決まらない段階で、優遇年数をスライドに書くのは早すぎます。早すぎる数字は、後で必ず下方修正されます。下方修正は、社内の信頼を削ります。
電力・物流・人材——優遇の外にある条件
七つ目の問いは、税金の外です。優遇が長くても、電力単価と安定供給、港湾・空港アクセス、技術者の確保が揃わなければ工場は回りません。2026 SIPPがクリーンエネルギーや物流、デジタルインフラを前面に出すのは、この外部条件を政策課題として認めているからです。日系電子がフィリピンを選ぶとき、問いを「税率」だけにすると失敗します。正しいセットは、税率×電力契約×人材育成×サプライヤー密度です。ベトナムやマレーシアと比較する資料でも、この四点を同じ表に載せない比較は不公平です。不公平な比較は、現地視察のあとで必ずひっくり返ります。ひっくり返る稟議を防ぐには、優遇の外の条件を先に赤字で書くことです。赤字がない資料は、楽観シナリオの作文です。
日系企業が取る分岐——様子見/申請準備/立地確定の三択
八つ目の問いは、今四半期の行動です。分岐は三つです。A:新ガイドライン公表まで様子見(情報収集のみ)。B:現行ルールでIPA/弁護士と申請ドラフトを作り、Tierと投資額を仮置きする。C:候補用地の電力・用水・物流を確定し、優遇は並行申請する。中堅の現実解はBです。Aだけだと競合に用地を取られ、Cだけだと優遇設計が後付けになります。問いを「今すぐ着工か/撤退か」にすると、選択肢が狭すぎます。正しい問いは、「申請の下書きを今週始めるか」です。下書きを始めない会社は、リスト承認ニュースの購読者に留まります。購読者では、次の四半期の投資委員会を通せません。通せるのは、Tierと窓口と電力を一枚にした会社です。一枚にできない会社は、まだ比較表の列名すら決まっていません。
若手が誤解しやすい一点——「ASEANで優遇が長い=最優先拠点」ではない
誤解の一つ目は、優遇年数の長さが拠点順位を決める、という読みです。長さは条件付きの上限であり、電力・人材・顧客距離の方が先に効きます。二つ目は、SIPP掲載=自動承認、です。掲載は候補であり、個別審査があります。三つ目は、半導体と一口に語れる、です。後工程とウエハではTierも要件も違い得ます。正しく問うなら、「自社工程はどのTierで、誰が承認し、電力はいつ足りるか」です。この三つが空欄のまま「フィリピンが熱い」と書くのは、ニュースの要約です。要約の稟議は、現地で一度は止められます。止められない稟議にするには、空欄を埋め終わるまで投資額を確定しないことです。
この先の90日——日系が先に書くべき一枚
最後の問いは、90日の成果物です。(1) 自社工程をTier I/II/IIIのどれに置くかを一枚にする。(2) 投資額見込みでFIRBかIPAかを決める。(3) 2022ガイドライン暫定と2026ガイドライン公表予定を並記する。(4) 候補用地の電力・用水・物流を表にする。(5) 経営会議には「SIPP承認で追い風」ではなく、「リスト/法/窓口/現場条件」の四象限を出す。四象限があれば、Go/Wait/他国比較が議論できます。四象限がない会議は、毎回の優遇ニュースでリセットされます。フィリピンは、優先リストを更新した国です。リストを読める会社だけが、次の投資を取れます。読めない会社は、まだ見出しの読者です。読者のままでは、2026年後半の用地競争に間に合いません。
読み解きのポイント ①2026 SIPPはMO No.47で承認(FIRB歓迎) ②CREATE+CREATE MOREが優遇の法枠 ③半導体・電子はTier整理が鍵(後工程とウエハで差) ④ガイドラインは過渡期の可能性 ⑤日系は税率だけでなく電力・人材・窓口を同時に問う
フィリピンの投資優遇は、優先リストの承認だけでは足りません。足りないのは、Tierと窓口とガイドラインと現場条件です。四つを一枚に書けたとき、初めて日系の投資判断が始まります。書けない議論は、まだ官報と報道の要約です。要約のままでは、次の四半期の工場は決まりません。決まるのは、四象限を埋めた会社の案件だけです。
よくある質問
Q. 2026 SIPPはいつ承認されましたか?
大統領側のMemorandum Order No.47により承認。FIRBもこれを歓迎する公式説明を出しています。
Q. CREATE MOREとは何ですか?
RA 12066。CREATEの優遇を拡張し、条件によりSCIT/EDR等の期間を長く取り得る枠組みです。
Q. 半導体ならすぐ優遇が取れますか?
いいえ。活動のTier、承認主体、ガイドライン適合、現場条件の確認が必要です。
Q. 今すぐ投資すべきですか?
方向性の確認と申請下書きは今から可能。大規模着工はガイドラインと電力の確度を見て判断してください。
主な出典
DOF/FIRB「FIRB welcomes 2026 SIPP approval…」/Memorandum Order No.47(2026 SIPP)関連公式・報道/Republic Act No.12066(CREATE MORE)/BusinessWorld等によるBOIガイドライン公表予定の取材(要一次突合)。
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※2026年8月時点の情報をもとに作成しています。監修:森英朗(グループ代表)。
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