2018年3月、世界保健機関(WHO)は、世界で全人口の5%以上に当たる約4億6600万人が聴覚障害に苦しんでおり、2050年には世界の聴覚障害者は現在の約2倍にあたる9億人に達する可能性があると発表しました。
※出典: 独立行政法人労働政策研究・研修機構 データブック国際労働比較2019
世界各地で急速に高齢化が進む中、加齢により聴覚障害を患う人が増えると予想されていますが、それ以外にもスマートフォンやオーディオプレーヤーで音楽やメディアを大音量で長時間、聞くことで起こる「イヤホン難聴」も増えていると言われています。
一般に30代から徐々に低下する聴力が20代から衰え始めているとも言われ、「聞こえ」を補助する補聴器の潜在顧客は若い世代から高齢者まで、拡大すると考えられています。
かつては、「聞こえ」を補うためだけのデバイスであった補聴器も、この10年で最先端のマイクロチップを内蔵したデジタル補聴器が開発され、周囲の環境を自動分析しユーザーに最適な音を届けてくれたり、スマートフォンやBluetooth対応の機器と接続でき補聴器で音楽を楽しめたりハンズフリーで電話ができる機種が発表されるなど、目覚ましく進化しています。
この記事では、補聴器業界の日本と海外マーケットの動向、及び世界のシェア上位3位をおさえるブランドの注力領域についてお伝えします。
日本の補聴器マーケット
日本補聴器工業会が2015年に実施した調査によると、日本では補聴器が必要とされる難聴者は推計約1,430万人存在し、全人口の15.2%と試算されています。
世界を代表する長寿国として知られる日本は、超高齢化社会を迎え2019年の平均寿命が女性が87.45歳、男性が81.41歳と男女共に過去最高を更新し、201の国・地域において世界で一番、高齢者の占める割合が高い国となりました。
※出典:総務省統計局 高齢者人口の割合
このような長寿化が進む中、年を重ねるにつれ多くの方が「音が聞こえづらい」という、聞こえの衰え『難聴』を実感するようになります。
早い人で30 代から徐々に聴力が低下しはじめ、50 代半ばから聴覚の老化はさらに進んでいきます。
70代になると、男性は5人に1人、女性は10人に1人の割合で日常生活において支障のある難聴を抱えていると推測されています。
※出典:国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター No.33【認知症予防】知的な能力と難聴の関係
では、日本では年間どれくらい補聴器が売れているのでしょうか?
一般社団法人日本補聴器工業会によると、2018年の補聴器出荷台数は前年比104%の58万5,255台でした。
1990年に比べ約1.9倍の伸び率をみせており、老齢人口が今後も増加傾向にあることから、日本における補聴器の市場規模はさらに拡大すると考えられます。
※出展 社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会 補聴器を取り巻く現状
一方、マーケットを取り巻く課題も指摘されています。
日本補聴器工業会によると、人口に占める難聴者の割合は11.3%と、欧米諸国と比較しても大きな差はありませんが、難聴者の補聴器使用率(難聴の自覚がある人のうち、補聴器を使用している人の割合)は13.5%と他国に比べ著しく低い結果となっています。
※出展 社会福祉法人京都聴覚言語障害者福祉協会 補聴器を取り巻く現状
では、なぜ日本では補聴器を必要としている人が補聴器を使用していない、もしくは使用できていないのでしょうか。
その理由として下記のような、マーケットを取り巻く要因が考えられます。
日本は補聴器を初めて装着するまでの期間が長い
欧米諸国に比べ、日本で補聴器を使用し始める年齢には10年ほど開きがあると言われています。
日本では、65歳から難聴者の比率が上がりますが、 補聴器を所有する人の比率が上がるのは75歳を超えてからです。
難聴に気づいてから補聴器を購入するまでの期間は、欧米では2~3年ほどですが、日本では平均4~6年もかかっており、「聞こえ」に不便を感じていても、なるべく補聴器に頼りたくないと耐えてしまう方が多いようです。
補聴器技能者が少ない
日本では補聴器の取り扱いをしている補聴器販売店は、全国で約8000店舗ありますが、一定水準以上の知識・技能を持つ補聴器のスペシャリスト「補聴器技能者」が常駐している店は3割程度しかありません。
一方、欧米は多くの場合、医療機関と国家などが連携して難聴者にあった補聴器を販売する仕組みが確立されています。
補聴器に対するイメージ
日本補聴器工業会が実施した調査によると、補聴器を使用しない主な理由として『わずらわしい』、『補聴器を使用しても元の聞こえに戻らない』などが挙げられています。
※出展 一般社団法人 日本補聴器工業会 JapanTrak 2018 調査報告
たしかに、ひと昔前の古い世代の補聴器は装着すると目立って格好が悪い、小さなつまみやボタンの操作が必要で『わずらわしい』と言われてもおかしくないものでした。
しかし、この10年で補聴器には大量のデータ処理を可能にするマイクロチップが搭載され、手動での面倒な操作なしに周囲の環境に合わせ自動で音量調整をする機能などユーザーフレンドリーな商品が開発されています。
また、耳穴の奥にすっぽりとおさまり、装用していることが外から見えない補聴器など、サイズやカラーバリエーションも豊富になっています。
最近は購入前に無料で補聴器の貸し出しをするトライアル制度を設ける販売店も増えています。
このような仕組みを利用し、「聞こえ」に不安を感じたら早めから販売店に相談に行く、またそれを業界全体で後押しする仕組みが、日本の補聴器マーケットの拡大には必要と考えられます。
欧米諸国の補聴器マーケット
EU
欧州の補聴器マーケットでは、EUの全人口の10人に1人が聴覚障害に悩み、約2260万人が難聴であると言われています。
2019年の補聴器の売上は前年比6.4%増加しましたが、補聴器の使用率は難聴者の33%にとどまり、今後も拡大の余地があると考えられます。
また欧州では、補聴器の購入に健康保険が適用できるなど、手厚い公費補助を実施している国が少なくありません。
日本が公的補助の対象としているのは、身体障がい者手帳所持者で聴力が70デシベル以上(40cm以上の距離で発声された会話を理解し得ない)の難聴者に限るのに対し、イギリスやデンマーク、ノルウェーはWHOが補聴器使用を推奨している41デシベルから100%の公費助成を実施。
イタリア、ドイツ、スイスは約7~10万円の購入補助が行われており、EU全体では79%が補聴器の購入に一部、または全額の保険を適用したとのデータもあります。
2020年は新型コロナウイルスへの対応策として、多くの国でロックダウンや外出禁止令が出され補聴器の売上も壊滅的な影響を受けました。
しかし、潜在的なニーズと各国の公的補助制度が、今後の補聴器普及の大きな後押しとなると考えられます。
※出典:Getting the numbers right on Hearing Loss Hearing Care and Hearing Aid Use in Europe
アメリカ
アメリカのマーケットの特徴は補聴器を「民間での売上(Private)」と「退役軍人への売上(VA)」があることです。
民間での売上は他国同様、難聴を患う個人が購入するものから成り立っていますが、退役軍人への売上は難聴を患う退役軍人への福祉の一環としてアメリカ軍がその費用を負担しています。
Hearing Industries Association(HIA:米国.補聴器産業脇会)によると、民間での補聴器売上は2017年に前年比4%増、2018年に6%増、2019年は第3四半期までに前年比4.2%増加し、ゆるやかな上昇曲線を描いています。
併せて、退役軍人への補聴器販売台数は2017年が前年比0.9%増、2018年に2.4%増、2019年は第3四半期までに前年比7.9%増加しており、アメリカの補聴器マーケットは新型コロナウイルスの流行まで好調に推移していたといえます。
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、2020年第2四半期の補聴器販売台数は58.6%まで減少しました。
(民間での売上52.5%減少、退役軍人への売上83.4%減少)。
これは新型コロナウイルスへの対応としてとられた大規模なシャットダウンにより、店舗や診療所の営業中止や営業時間縮小し流通がストップしたことが要因として挙げられます。
7月以降ほぼ全ての店舗で営業が再開されましたが、補聴器を扱う店舗での感染防止の強化や遠隔診療により接触機会を減少する取り組みが行われ始めています。
※出典:US Hearing Aid Sales Fall by 59% in Second Quarter 2020
各社の売上推移と注力領域
全世界で補聴器メーカーは30~40社あると言われていますが、その販売台数の90%を上位5グループが占めています。
その中でも、世界シェア3位のSivantosと6位のWIDEXが合併し新会社を設立、各社ブランド名は残しつつ大手ホールディングの参加に入るなど、業界の再編が行われています。
また、最先端のマイクロチップを搭載することで、デジタル化開発が進み補聴器の性能のレベルの差が小さくなったことを受け、各社の強みを生かした商品開発も進められています。
ここでは、補聴器マーケットで上位3位を占めるブランドについて、各社の注力領域と各ブランドを保有するホールディングスの売上推移をみていきましょう。
※出典:Statista, Percentage of the global hearing aid market as of 2019, by company
フォナック(PHONAK, Sonova)
70年以上にわたり聴覚産業に身を置く老舗であり、100カ国以上で使用されています。
2007年より世界シェア1位の31%を誇るSonovaグループに属し、ファナックはそのブランドの一つとしての位置付けられています。
Sonovaグループが2020年5月19日に発表した2019/2020年の連結決算は29億1,700万スイスフランと5.6%増加。内、補聴器セグメントは現地通貨で9.6%増の26億8,600万スイスフランの売上でした。
アフターコロナとなる2020/2021年の第1四半期は売上高が前年のレベルの65〜75%に達し、市場の早い回復を予想しています。
フォナックの注力領域は、モーションセンサーを搭載することで、明瞭で豊かな音を実現しています。
また、他社では必要なことが多い中継器なしに、iOS や Android スマートフォン、その他の Bluetooth® 対応の機器に直接接続可能なモデルが発表されています。
その他、専用のアプリを使用することでリモートサポートが受けられたり、ワイヤレスでボリューム調節ができるなど細かな設定が可能となっています。
また、フォナックは補聴器本体だけでなく、デジタルワイヤレス補聴援助システムにも強みを持っています。
こちらは、『ロジャー』という製品で、ワイヤレスマイクにより遠方の音を拾い、外耳道レシーバを取り付けることなくロジャー マイクロホンから補聴器へ直接ストリーミングを可能にするアクセサリーで、フォナックが提供する業界初の製品です。
教育現場で先生にロジャーを装着してもらい、生徒の補聴器に直接、声を届けることができるなど子供から大人まで幅広く対応できるブランドです。
オーティコン(Oticon, William Demant Holding)
オーティコンは、1904年にデンマークで誕生、世界120カ国でオーティコンの補聴器が使用されています。
世界シェア2位のウィリアム・デマント・ホールディング社の傘下にあります。
ウィリアム・デマント・ホールディング社の年次報告書によると、2019年の補聴器ユニットの売上高はOticon Opn Sの販売が好調に推移したこともあり前年比9%の成長となりました。
しかし、2020年上半期のグループ収益は60億7,800万デンマーク・クローネで、前年と比較して17%減少、補聴器ユニットの売上は28%減少し、新型コロナウイルスの影響を大きく受けた模様です。
オーティコンの注力領域は、最新テクノロジーの追求です。
BrainHearing™(ブレインヒアリング)と言われる、独自のアプローチを追求し、脳への負担を減らしつつ「聞く」疲労も軽減できる技術や、360°の聞こえを可能にするオープンサウンドナビゲーター機能など、独自技術の開発に強みを持っており、補聴器を使うユーザーの疲れの軽減に力を入れています。
シーメンス(SIEMENS, WS Audiology)
シーメンスは、1878年ドイツで誕生。世界シェア3位のSivantosグループの傘下にありましたが、2019年に業界6位のワイデックス(WIDEX)社と合併し、WS Audiologyを設立し、その傘下のブランドとなりました。
シーメンスの注力領域は、騒音下での聞き取りを容易にする技術開発です。
世界初のXセンサー(超広角センサー ✕ モーションセンサー)を搭載した補聴器を発売するなど、周囲の環境とユーザーの動きをモニタリングし、あらゆる状況で音声を最適化することに強みを持っています。
また、専用アプリで補聴器をコントロールしたり、リモートサポートも受けることができます。
補聴器の見本市
補聴器に関する見本市としては、ヨーロッパで行われる補聴器展示会EUHA(European Union of Hearing Aid Acoustics)とアメリカで行われるAAA(American Academy of Audiology)が2大展示会として挙げられます。
特に、ヨーロッパ最大の補聴器展示会EUHAは各メーカー、EUHAに向けて新製品を開発しお披露目発表を行う注目の展示会ですが、今年は2020年10月8日~9日に予定されていた見本市を新型コロナウイルスへの対策として中止し、2021年まで延期するとの発表がありました。
延期後の日程は2021年9月15日~17日を予定しています。
また、アメリカで開催予定であったAAAについても中止となり、次回は2021年4月14日~17日にデンバーでの開催を予定しています。
世界中のメーカーと補聴器のプロフェッショナル、Dr.が一同に集まり、メーカーにとっては製品を直接アピールできるチャンスですが、新型コロナウイルスが落ち着くまでは見本市ではない商品販促の方法を模索必要がありそうです。
最後に
新型コロナウイルスの感染拡大により影響を受けた補聴器マーケットも、世界的な高齢化を背景に今後も市場の拡大が見込まれます。
また、小型マイクロチップを搭載した高性能な補聴器開発、スマートフォンや家電との連動、外出せずにリモートで音量調整をしてもらうリモートサービスの拡充など、補聴器の多機能化も進んでいます。
補聴器は「聞こえ」を補助するものから「生活を豊かにする」デバイスへと進化を続けています。
<参考>
総務省統計局 統計トピックスNo.121 統計からみた我が国の高齢者-「敬老の日」にちなんで-
https://www.stat.go.jp/data/topics/topi1210.html
国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター No.33【認知症予防】知的な能力と難聴の関係
https://www.ncgg.go.jp/cgss/department/ep/topics/topics_edit33.html
一般社団法人 日本補聴器工業会
http://www.hochouki.com/about/report/program.html
シニアのあんしん相談室
https://hochouki.soudan-anshin.com/cont/market/
EHIMA Reports 6.4% Growth in Global Hearing Aid Sales for 2019
https://www.hearingreview.com/inside-hearing/research/ehima-reports-6-4-growth-in-global-hearing-aid-sales-for-2019
EHIMA Getting the numbers right on Hearing Loss Hearing Care and Hearing Aid Use in Europe
https://www.ehima.com/wp-content/uploads/2020/08/Getting-the-numbers-right-AEA_EFHOH_EHIMA-June-2020-final.pdf
US Hearing Aid Sales Fall by 59% in Second Quarter 2020
https://www.hearingreview.com/inside-hearing/industry-news/us-hearing-aid-sales-fall-by-59-in-second-quarter-2020
Statista, Percentage of the global hearing aid market as of 2019, by company
https://www.statista.com/statistics/1087388/global-hearing-aid-market-share-by-company/
opticon
https://www.oticon.com/
Sivantos
https://www.wsa.com/-/media/files/financial-reports/sivantos-investor-q1-fy-19-report.pdf