海外における日本車は、60年代までは全く知られていませんでした。
しかし、1970年代に起こったオイルショックによって日本車のニーズは急変し、今や世界的な評価を受けています。「日本車は壊れない」というブランドを築いた日本車の海外進出の歴史はいつ頃スタートし、どのような自動車が人気を博してきたのでしょうか。
ここでは、日本の海外進出の歴史とそれぞれの国で評価されるブランドについてご紹介します。
日本車の海外展開
生産台数
https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/2009/16/news057.html
2019年における自動車の企業別・ブランド別販売台数の調査では、世界の自動車大手「3強」の2019年の世界販売台数は、独フォルクスワーゲン(VW)グループが4年連続の世界一となり、日産・仏ルノー・三菱の3社連合は合計で約1015万5千台と、2018年の2位から3位に後退しました。一方、トヨタ自動車(ダイハツ工業と日野自動車を含む)は3年ぶりに2位に浮上しました。
日本車の世界販売台数構成比
日本車は主に海外のどこで売っているのでしょうか。
下記の構成比グラフを見てみると、日系大手の自動車メーカーは、主に北米で販売台数を占めていることが分かります。合計すると新車643万台が販売されているようです。
https://toyokeizai.net/articles/-/340604?page=2
これは逆に言うと、北米に依存が強過ぎており、アメリカ市場が混乱すると大きな損出を被るとも言えるでしょう。
これまでの販売台数の推移についてご覧になりたい方はこちらのYouTubeもご覧ください「20年間のメーカー別 自動車生産台数ランキング」
日本車のアメリカでの成功
世界で圧倒的なプレゼンスを示してきた日本車ですが、現在においてもその信頼性は健在です。
米国の消費者情報誌”Consumer Reports”の調査によると、2020年に発表された「自動車メーカー・ブランドの信頼性ランキング」の1位にマツダ、2位にトヨタ自動車、3位にトヨタの高級車ブランド「レクサス」がランクインしており、評価を受けていることが分かります。
https://japan.cnet.com/article/35162751/
日本車の海外事業の歴史
次に、海外展開の歴史を重要な年代ごとに見てみましょう。
1950年代
日本の自動車メーカーが最初に進出を決めた国はアメリカで、1950年代からスタートしました。1958年のロサンゼルス自動車ショーにトヨタの「ランドクルーザー」と「クラウン」、日産の「220型トラック」「ダットサン210型セダン」が出品されました。
しかし当時の日本車の性能はアメリカの交通事情に適応できておらず、本格的な輸出に一方踏み出すことはできませんでした。
https://kuruma-news.jp/post/103375
1963年
トヨタはアメリカへの進出後ターゲットを変更し、1963年ヨーロッパに進出をしました。まずデンマークにクラウンを輸出したことから始まり、次にオランダ、ノルウェーなどに販売拠点を築いていきました。
しかし予期せぬ需要がアメリカで起こりました。
トヨタが1966年に輸出した「コロナ」がセカンドカーとしての高く評価され、販売が急増したのです。
その後アメリカはトヨタにとっての最大の輸出先となり、カローラは1968年に輸出が正式に始まり、1971年に40万4000台がアメリカに渡りました。
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/vehicle_lineage/car/id60007380/index.html
1973年
状況が大きく変わったのは、70年代です。オイルショックと排気ガス規制によって、それまでの大排気量エンジン主体だったアメリカの自動車の商品性が小型車重視へと変わっていきます。このことが、燃費の良い小型車を得意とする日本車メーカーに好機をもたらしました。
1970年のアメリカの輸入乗用車販売台数のトップ10にはトヨタと日産の2社しか入っていませんでしたが、1975年にホンダ、三菱、マツダも加わりました。
大ヒットしたホンダの「シビック」
この年は、アメリカの輸入車販売台数のうち約50%を日本車が占め、フォルクスワーゲンに代わりトヨタが首位になりました。日本車にとって歴史的な年となりました。
1970年代末
日本車の輸出は急拡大し、1980年、アメリカで販売されるすべての自動車の中でのシェアが20%を超えました。しかし、日本車の急増は政治的な問題とされ、1981年に対米自動車輸出自主規制が始まります。
この規制を避けるために日本のメーカーはアメリカに工場をつくり、現地生産へと移行するようになりました。
日本車は1970年代以降アメリカで確固たる基盤を築き、順調に販売数を伸ばしていきました。
しかし、確かに台数は増えているものの、それぞれの自動車メーカーはアメリカで抱かれるブランドイメージに複雑な感情を持っていました。当時のアメリカにおける日本車への評価は「安くて壊れない優秀な実用車」というものでした。
80年代のアメリカにおけるトヨタのイメージは「カローラとトラックの会社」と認識されていたのです。
ヨーロッパでのブランド戦略
アメリカにおける日本車販売台数の急激な増加の現象はヨーロッパでも起こりました。
特にドイツの自動車メーカーは、日本車の勢力に負けてしまうという状況に陥りました。そのため、「どのようにしてステータスを高めるか」の戦略が取られるようになり、ドイツではメルセデス・ベンツやBMWが、イギリスではジャガー、スウェーデンのボルボなど、揺るぎないブランドが生まれていったのです。
さらに、日本車メーカーにとってはさらに逆境が訪れます。
大衆車の分野では日本車は圧倒的な地位でしたが、日本車よりもさらにリーズナブルな車が韓国から発売され、海外進出していったのです。
日本は韓国にシェアを奪われるようになり、窮地に立たされます。日本車メーカーが生き残るために、主力商品の付加価値を高め高級路線の戦略を取る必要が出てきました。
「大衆車」というイメージが定着してしまっている日本車がヨーロッパで別の市場を切り開くのは困難な状態でした。
しかし1986年、ホンダがまず最初に動き始め、新たに「アキュラ」を立ち上げ、その後高級セダンの「レジェンド」は、日本車で初のプレミアムブランドとなりました。
https://b-cles.jp/car/honda_legend_1st.html
アメリカにおいて、高付加価値の車を提供するだけではなく、サービスにおいても高付加価値を目指したのはトヨタです。クルマの性能だけではなく、ディーラーによるきめ細やかな接客やアフターフォローが「これまでには見られない」と評価されました。
1989年8月に発売後わずか4か月までに販売した約1万台のLS400のうち約4割がヨーロッパ車からの買い替えという現象が起こりました。
https://car-moby.jp/article/automobile/lexus/ls/ls-400-history/
海外生産のメリット
JAIA(日本自動車輸入組合)が発表した統計情報では、国産ブランドが意外と多く輸入されています。下記の日本自動車工業の出したグラフでは、日本メーカーの現地生産が年々増えていますが、この現地生産から日本国内への輸入が起こっているのです。
2019年度上半期の輸入車総数は約17万台でで、そのうち下記の国産ブランドが約2万台占めています。
トヨタ:約1万台
ホンダ:約5500台
日産:約4000台
スズキ:約3000台
三菱:約20000台
海外で製造すると為替リスクや輸送コストなどがかかるにも関わらず、国内で生産せずにわざわざ海外で作るメリットは、どのようなものがあるのでしょうか。実は、メリットがあるから海外で製造するというよりも、日本の自動車製造があまり良い体制にないということが考えられます。
日本の自動車メーカー各社は、少子高齢化により国内市場縮小の危機に直面しています。
そのため、今後少量しか売れない商品のために金型を保守管理すると生産コストを押し上げてしまいます。その商品が多く売れると見込んだメインマーケットでまとめて大量生産してその場所から輸入するという手法が最も効率が良くコスパが良いようです。
日本の少子高齢化の状況を考えると、今後も海外で生産される日本車は増えていくとされています。
主要メーカー
トヨタ自動車
トヨタの本格的な海外生産は、第2次世界大戦後、東南アジアや中南米を中心に拠点が整備されました。最初の拠点はブラジルだったのは、豊富な天然資源と後進地域の中で最も国民所得が高く将来の市場性があること、戦前から日本人移民も多く日本製品に好意的であることが理由でした。
1980年代中頃からは、世界経済のボーダレス化に伴って、北米、ヨーロッパ中心に急速に拠点数が増えました。世界に約20カ国生産事業体があります。
https://www.toyota.co.jp/pages/contents/jpn/investors/library/annual/pdf/2012/p16_20.pdf
昨年末、同社は2020年1月1日から組織を再編し、売上が近年急激に伸びている大黒柱である中国の拠点を事業を将来アジア事業から分離し、独立運営すると発表しました。
トヨタ自動車が成功したグローバル企業として評価されて指標の1つは、21兆5316億円(2018年12月末)という「利益剰余金」です。
1ドル110円換算にするとフォードとGMは2兆円台、アップルは8兆円弱、グーグル親会社のアルファベットは15兆円弱と言われているので、トヨタ自動車の数値は世界有数のグローバル企業以上の業績を誇ります。
「クルマを作る会社から、モビリティサービス会社に変わる」と宣言し、2030年には電気自動車を年間550万台以上販売するという目標を立て、電動車のなかでもハイブリッド車では他社に大きく先行しており、ソフトバンクグループと提携しモビリティサービスの開発を行うモネ・テクノロジーズを立ち上げています。
本田技研工業株式会社
ホンダは、本田宗一郎が創立した本田技術研究所を起源に、1948年に設立。同社は、1949年の2輪車生産から事業をスタートさせ、1958年にに発売した「スーパーカブ」は世界的な超ロングセラーとなりました。この2輪車の成功を経て、1963年に4輪車事業に参入しました。
創業当初から世界を視野に入れていたホンダは、1982年に米国に現地工場を建設するなど、他社に先駆けて世界各地に生産や販売の拠点を設立していき、現在、北米・中南米での展開、欧州・中近東・アフリカ、アジア・大洋州での展開しています。
この『ナイセスト・ピープル・キャンペーン』は、1963年にアメリカで大反響を呼び、ホンダの名は一気に浸透しました。それから約60年経つ現在も、現地でのホンダの人気は健在で、アコード、シビック、CR-Vが好調です。
近年ホンダは、英国、アルゼンチン、メキシコなどでの工場閉鎖や生産停止を通して、海外生産体制の見直しに動いています。その成果により、2020年10月の生産・販売・輸出実績はそれぞれプラスとなり、中国、アジアの生産は10月単月での新記録となりました。
スズキ
スズキは、1970年代からインドに進出を検討し始めました。インド政府は「自動車先進国の力を借り、自動車産業を発展させたい」として、提携企業を探していたところでした。まだ手つかずの今後伸びるであろう市場に目を付けたスズキの鈴木会長が交渉に名乗りを挙げ、1981年に合弁会社が設立されました。
スズキが現地に設立した「マルチ・スズキ・インディア」の販売台数は、2017年度に約165万台、2018年度に172万を記録していますが、インドの乗用車市場においてスズキの自動車が50%以上占めている状態です。インドでは「2台に1台がスズキの車に乗っている」というスズキがほぼ一人勝ちの状態です。
アメリカを主なターゲットとする多くの日本車のデザインは、インドではウケませんでした。それにも関わらず、なぜスズキはインドで成功したのでしょうか。その最大の要因は「インド現地へのローカライズ」でした。
例えば、インドでは全長4m以下のクルマに対して税制上大きな優遇措置があります。そのため、マルチスズキの主要な車種のほとんどは全長が4m以下で、またデザインもインド人に好まれるよう現地に根差したデザイナーを採用するなど工夫を凝らした戦略を取ったのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/49c4b0b93ad81eec001b4bf6bf2e5b43885c2fb5/images/000
スズキは2020年、インドで「ジムニー」の生産・輸出を開始し、グルガオン工場で生産し、中南米、中東、アフリカなどに輸出すると発表しました。実はジムニーは、2018年に発売されていましたが、受注が好調で生産が追い付かない状況が続いたため、今回インド現地生産に踏み切りました。
日産自動車
日産自動車は1933年の設立以来、トヨタやスズキと並ぶ日本の自動車産業のトップリーダーとして活躍してきましたが、経営不振から多額の借金を背負ったことをきっかけに、カルロス・ゴーン氏が就任。その後わずか1年で黒字化に成功し、日産は世界を舞台に飛躍しました。
日産の自動車の販売は、国内向けが20%以下で、それ以外は全て海外です。いかに同社がグローバル展開に力を入れてきたかが分かる数値でしょう。特に、欧州、ASEAN、米国の4つの市場に注力しており、新興国向けには「DATSUN」ブランドを使用し、小型車・低価格を軸に販売を促進しています。
日産自動車は2019年7月の記者会見で、2019年4〜6月期決算と2022年の事業計画を発表しました。2022年に売上高14.5兆円を達成するために3000億円の固定費削減を進め、効率化を図る方向です。
電気自動車への移行
次に、世界の電気自動車(EV)の動向をご紹介します。ノルウェーはEVの需要が急拡大しており、世界一の普及率を誇っています。米クリーンテクノロジーメディアの調査では、ノルウェーの新車販売EV比率は2020年2~7月の期間で6割を超えたということが分かっています。
このような動きはノルウェーが先駆けていますが、「欧州グリーンディール」「パリ協定」「ガソリン・ディーゼル車の販売・走行禁止計画」の下、去欧州全体で同じ動きを見せています。
https://eumag.jp/wp-content/uploads/2020/02/green_deal.pdf
EU加盟27ヵ国のうち26ヵ国がEV購入を奨励するための補助金や免税制度を準備・実施しています。
EV-Volumesの調査によると、2020年上半期の世界のEV車の売上は、欧州ではコロナウイルスの影響により自動車売上が前年同期比約40%に減少しましたが、なんとEVの売上は57 %増えたということが分かりました。世界で見てみると自動車の売上は約30 %急落するものの、EV車の売上は14%減と比較的小幅に収まっているようです。
https://blog.evsmart.net/ev-news/electric-vehicle-sales-in-europe/
それでは日本のEV車への動向はどうなっているのでしょうか。経済産業省が出した2017年のデータを見てみると、日本における全販売台数に対するEVの割合は0.41%、極めて低い状態になっていました。
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/mobility_kozo_henka/pdf/002_02_00.pdf
このような現状を受けて政府は、「2030年までにEVの新車販売台数の比率を2~3割にする」という目標を2019年に掲げています。
最後に
今後は電気自動車にグーグルやアリババなどのグローバルテック企業が参入し、これらの企業はEV車を含めたスマートシティ構想に乗り出すと言われており、グローバルの自動車業界はますます競争が激化するでしょう。
政府はEV車導入を急いでいるものの、「日本の自動車メーカーは依然として脱炭素化に遅れを取っている」という専門家の声をよく耳にします。
このまま日本の自動車メーカーが変革のないまま「2050年カーボンニュートラルの時代」に突入してしまえば日本車の製造販売は厳しくなるとも指摘されるほど、現在、自動車業界は過去100年間と全く違う構造変革の時代に立たされています。
<参考>
https://www.webcg.net/articles/-/42542
https://www.sankeibiz.jp/business/news/201012/bsa2010120820001-n1.htm
https://diamond.jp/articles/-/150451?page=2
https://news.yahoo.co.jp/articles/c55d9d7b3e3ffefa23f9f1ee2f8fd9914d675e97
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/common/pdf/overseas_change.pdf
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2020/12/post-1207.php
https://response.jp/article/2020/05/20/334770.html
https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/03_marketingglobaly/
https://auto-time.36kr.com/p/480453666848773
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60571510Z10C20A6TJC000
https://monoist.atmarkit.co.jp/mn/articles/1907/26/news048.html
https://www.digima-japan.com/knowhow/india/6249.php
https://www.webcartop.jp/2019/12/463799/